俺は本多さんがお金を出したとなぜ思ったのか?

 このブログにも登場する、ジャーナリストの本多勝一(ほんだ・かついち)さん。本多さんは、他人のやっている仕事であっても、自らが重要だと考える、そうした仕事の場合には、その仕事に対して、お金を出すことがあります。もちろん、この場合、本多さん個人が、お金を出すのです。本多さんが、自腹を切るのです。

 本多さんは、俺の仕事に対して、お金を出しました。本多さんは、俺の仕事に対して、自腹を切りました。これは事実なのです。そして、この場合、たとえば、お金を出すと言っても、自腹を切ると言っても、その方法には、人それぞれ、いろいろあるとも言えますよね。本多さんは、はたして、いったい、どんな方法を使って、俺の仕事に対して、お金を出したのでしょうか?本多さんは、どんな方法を使って、俺の仕事に対して、自腹を切ったのでしょうか?まずこれが、一つ目の問いです。

 俺はいま、本多さんが、俺の仕事に対して、お金を出した、そういうふうに、書きました。では、俺は、本多さんが、俺の仕事に対して、お金を出したと、なぜ、そう思ったのでしょうか?そして、俺がそう思うように至る、その過程というのは、それは、どういうものだったのでしょうか?これが、二つ目の問いなのです。

 俺としては、この二つある問いのうちの、後者の問いについてのみ、ここで、俺の持論を展開して、答えてみようと思います。

 つまりは、本多さんの著書からの、次の抜粋を見ることによって、本多さんの人となりがわかるし、それによって、そこからの俺の連想にもうなずけるし、また、さらに、それによって、そこからの俺の下す結論というものへの理解さえも、深まるのではないかと、俺は、そんなことを思うのです。

 本多勝一著『これでいいのかジャーナリズム  貧困なる精神  第23集』ウコチャランケ~アイヌ民族議席の実現に向けて萱野茂さんを囲むつどい~から、以下、萱野茂(かやの・しげる)さんの話の抜粋。

 私と本多さんとのかかわりはいまから20年昔にさかのぼりまして、アイヌ文化資料館開館のときに来てくださいました。そして「萱野さん、いまあなたが一番したいことはなあに」と。おじいさんやおばあさんが目の前に亡くなりそうなので何とか録音したい。「ああ、そうかい、僕は新聞記者、足早いからね。お金いくら必要なの」「月15万もあればありがたいな」。20年前の話ですよ。そしたら目の前に15万円出して置いて、「あとは来月から振り込むからね」。そういうことで数年の間、月15万円ずつ振り込んでくださって、それで私は録音できたんです。あのときの助成金がなければ、あれだけ何百時間も録音することができなかったと思います。そういう意味では本当に庶民の心を知って、早速行動に移してくださる本多さん。(1992年6月5日)