「カラス日誌 電卓編…」について補足説明などを書く~カラス日誌 電卓編 2023年12月31日~

 

 俺はここに「カラス日誌  電卓編…」というタイトルで投稿されているブログについての補足説明などを書いてみようと思います。

 

1 「数字など」

 

 掲載されている写真をご覧ください。写真にうつっている電卓(電子式卓上計算機)の表示部分にある数字などは俺が打ち込んだのではありません。もちろん俺以外の誰かによって打ち込まれたわけでもありません。しかし誰かが打ち込まなければこの写真にあるように数字などが電卓にあらわれるはずはないですよね。俺は電卓をいつも陽のあたる窓際の一角に置いています。電卓は太陽電池式なので充電のことを考えていつも窓際に置かれているわけです。さてそのうえでたとえば朝いつものようにカーテンを開けて電卓を見てみると写真にあるように数字などが誰に打ち込まれたわけでもなく電卓にあらわれていることがある…また夜に部屋の電気をつけて電卓を見てみると写真にあるように数字などが誰に打ち込まれたわけでもなく電卓にあらわれていることがある…と。そういうことなんです。

 

2 神さまによる電卓をつかった俺へのメッセージ

 

 電卓にあらわれている数字などは神さまによる電卓をつかった俺へのメッセージなのであります。つまりは電卓は神のつかいであるということになります。神さまは電卓という神のつかいをとおして俺にメッセージをくれているということなんです。神のつかいは自然であり電卓は自然でできているのですからもちろん神のつかいなのであります。さらに大事なことをもう一言くわえますと人間は進化由来においてもちろんアミーバから出発したところの自然であるとくくれます。しかしながら俺=安達憲一郎は神のつかいは人間ではない自然だという立場を断じてとってその立場は金輪際微動だにしません。俺はこれに命を賭して張ります。有機化合物(人間も含めた生きもののすべて)と無機化合物(たとえば鉱物の要素が含有今回の電卓にしても)これらを全部ひっくるめての自然ではありながらもそのうえで俺=安達憲一郎は自然と人間とを厳格に分けてしまうということなのであります。神のつかいは自然である。断じて人間ではない。このことを強調しておきます。

 

3 2つの性格

 

 ここで整理。神さまによる電卓をつかった俺へのメッセージはつまり俺のブログであるところの「カラス日誌  電卓編…」は次の2つの性格を持っています。

① 電卓によるメッセージは神さまによるメッセージである。

② 電卓によるメッセージは俺だけにあてたものである。安達憲一郎という一個人だけにあてたものである。

 

4 「数(かず)など」

 

 神さまと俺はコミュニケーション(やりとり)をするうえで数(かず)などをつかっています。そのいわばコミュニケーションツール(やりとりをするための道具)としての数などについての意味づけというか定義づけというかそういうもの。それについては非常に重要なものであると言えます。ここでは神さまと俺とのあいだでいわば共有されているところの数についての意味づけ・定義づけの一覧を次にあらわすことにします。

 

1=「そんな感じでいい」と。

2=「相棒だ」と。

3=「正義の味方だ」と。

4=「そんな感じでいい」と。

5=「安達だ」と。

6=「憲一郎だ」と。

7=「友達だ」と。

8=「ウォーキングだ」と。

9=「いかにも安達だ」と。

10=「仕事だ」と。

11=「そんな感じでいい」と。

12=「平和だ」と。

13、14、15、16、…(つまり13以降は…)=「そんな感じでいい」と。

 

5 カラス日誌  電卓編  2023年12月31日

 

 ここで、神さまによる電卓をつかった俺へのメッセージについて、つまり「カラス日誌  電卓編…」の具体例について、考えていきたいと思います。「カラス日誌  電卓編  2023年12月31日 」について補足説明などを書いていきたいと思います。

 掲載された写真をご覧ください。

 この写真を見ると、写真左端あたりに、小さく「(アルファベットの)E(イー)」とあります。それから写真右に、いわば電卓のいつもの表示である「(数字の)0(ゼロ)」があります。これまでに書いてきたところの数字などとして、電卓に表示されている内容はというと、この2つがあると言えますね。「E(イー)」と「0(ゼロ)」と。この2つがあると言える。俺としてはこの、数字などの数(かず)に、注目するのであります。数字などのその数は2つだということ。2つ。そこでの「2」という数に注目する。で、その数こそ、神さまと俺とのコミュニケーションにおいて非常に重要になってくるのであります。

 表示されているものの内容がなぜ「(アルファベットの)E(イー)」なのか。表示されているものの内容がなぜ「(数字の)0(ゼロ)」なのか。そういうことは、いったん置いておきます。

 さて、神さまと俺とのコミュニケーションにおいては2という数は「相棒だ」と。そう意味づけ・定義づけがされています。従って、神さまと俺がいつもコミュニケーション(やりとり)をしているときの意味づけ・定義づけでいくと、掲載された写真の電卓に表示されている内容は、つまり、この「カラス日誌  電卓編…」は、「相棒だ」という意味であるとなってくるわけです。なぜならばそれは、意味づけ・定義づけされた「2」であるからと。そうなるわけです。

 結論。俺は「カラス日誌  電卓編  2023年12月31日」を「相棒だ」と。「それでいい安達」と。神さまがそう言ってくれていると…。ありがとうございます。