1 俺は、今年の4月頃に、先住民族の価値観を学ぶことが大切だ、と思った
①今年の4月頃に、本多勝一の『貧困なる精神 M集』の中の、「民族と国家、そして地球」を読んだ。
②その中に、「これからは、先住民族の価値観を学ぶことが大事だ」というようなことが書いてあった。
③このことは、“これからの行き方”として、重要な指摘だと、俺は思った。“これからの行き方”ってなんだ、というと、なんというか、いろいろやっていく上での、基本というか、なんか、そんな感じだったと思う。
④先住民族の価値観を学ぼう、と俺は思った。
⑥まえに、本多勝一の『アイヌ民族』という本を持っていた。今は手ばなしてしまったが、少しだけ読んでいて、内容的に、アイヌ民族の日常生活的なものを書いた本だ、ということは知っていた。
⑦この本にあるような、先住民族の日常生活的なことを知ることが、先住民族の価値観を学ぶためには重要じゃないか、というようなことを思った。
⑧先住民族の価値観を学ぶための、とっかかりとして、この本(『アイヌ民族』)の内容が収められている、『本多勝一集26 アイヌ民族』を読もうと思って、これを、図書館で借りた。
⑨『本多勝一集26 アイヌ民族』の中の、「アイヌ民族」のところを、140ページぐらい読んだ。
2 先住民族の価値観を、俺は、こうとらえた
①なぜか、今年10月中旬ごろから、俺は「映画」を撮ることになってしまった。
②「映画」を撮っている最中、10月の中旬か下旬ごろの、真夜中のこと。
③いろいろやっているうちに、「俺は、先住民族アイヌの価値観をどうとらえているか」を、表現してみようと思った。
④考えを整理する意味で、ノートにちょっと、書いてみようと思った。
⑤「1」のところで書いた読書(「アイヌ民族」のところを140ページ読んだこと)で知ったことを中心に、先住民族アイヌの価値観・世界観というものを、自分なりに考えて、ノートに書いた。
⑥本当にわずかな知識で、まったくの的ハズレかもしれないが、アイヌ民族の価値観・世界観というのはこんな感じじゃないのか、というものを、俺は、自分の頭で考えて、ノートに書いた。
⑦それが、下の“図”だ。
<アイヌ民族の価値観・世界観のイメージ>
神さま
自然(神のつかい)
人間
3 神さまというものについて、俺が、知識として、知っていること
(1)「映画」撮影中に、パソコン検索で知ったこと
①「映画」を撮っている最中、いろいろやっているうちに、沖縄(琉球民族)にとっての神さまって、何なんだ、という疑問を持った。
②パソコンで、「琉球民族 神様」と打って、検索した。
③検索して見つけたあるページで、琉球民族にとっての神さまは、「海の底」のようなところで、ニライカナイと呼んでいる、ということを知った。
④日本人というもの、大和民族にとっての神さまは何だと思って、同じページで、ちょっと、いろいろクリックしたりして見た。
⑤そしたら、多神教だから、いろいろあるみたいで、織田信長のような「人間」とか、ほかは「妖怪?」的なものとか、なんか、そういうのがある、というのを知った。
(2)わずかな知識で、世界3大宗教とかを整理すると…
⑥世界3大宗教では、
A キリスト教は、キリストという「人間」が神のつかいで、
B 仏教は、ブッダという「人間」が神のつかいで、
C イスラム教は、中国を旅行した時に、ウイグル自治区で、モスクに入ったことがあるが、なんか、“壁”というか、“場所的”というか、そういうのが、神のつかいであって、「人間」が神のつかい、ではない。
⑦さらに、
D アイヌ民族は、フクロウのような動物が神のつかいで、
E 琉球民族は、海の底、深いところの海の底が神のつかいで、ニライカナイと呼んでいる。
4 神さまというものについて、俺が、体験的に、知ったこと
①そして、ここのところが、一番重要なところだと、俺は思うのだけど、「映画」を撮っている最中、いろいろやっているうちに、俺は、次のような行動に出た。
②自分の名前・住所・電話番号・メールアドレスを、ノートに書いた。
③そして、「地域のみなさん、気になることがあったら、何でも俺に聞いてください」と、また、「世界のみなさん、気になることがあったら、何でも俺に聞いてください」と、ノートに書いた。
④書いた後、“書斎”の机の前にすわっていた。
⑤そうしたら、机の上の電話が鳴った。俺は出た。電話の相手は、何も言わずに切れた。
⑥たぶん、その後だったと思うが、地震が起きた。ほんの、みじかい、わずかな、震度2ぐらいの地震だった。
⑦俺は、ノートに「自然」と書いた。「自然が、俺にこたえてくれた」俺は、勝手に、そう思った。俺は、感動して、泣いた。すわって、頭を下げ、「ありがとうございます」と言って、泣いた。
★俺は、この体験によって、神のつかいは、人間じゃない自然だ、と確信した。
5 神さまが“後押し”してくれたと、俺は、勝手に、思った
①「映画」を撮っている最中、いろいろやっている中で、家の1階の食事をするところのイスに座りながら、俺は、「本当のクズは、XとYだ」と言おうと決めていた。
②しかし、俺は、これを、言っていいのか、すごく迷っていた。
③勇気を振り絞って、なんとか言おうとしていたとき、スズメか何かのような、にぎやかな鳥のさえずりが、聞こえてきた。
④俺には、そのにぎやかなさえずりが、俺のやろうとしていることを、“後押し”しているように思えた。
⑤俺は、「本当のクズはXとYだ」と、いわば“後押し”とともに、言った。
⑥ちょっとくどいかもしれないが、「そのにぎやかなさえずりが、俺のやろうとしていることを、“後押し”している」というところが、分かりにくいかもしれないので、同じようなことを、もう1度、書いてみる。
⑦俺は、次のように解釈した。
◎この「にぎやかな(鳥の)さえずり」は、神のつかいとしての、自然のものだ。
◎この「にぎやかな(鳥の)さえずり」は、俺に、「本当のクズはXとYだ」と、それでいいい。いいから、「言え、言え」と。そんなふうに、俺を、“後押し”してくれたんじゃないか。そう、俺は、勝手に、解釈した。
⑧自然を人間流に解釈するようで、この解釈は自然にたいして謙虚じゃない気もするが、正直なところ、そう思ってしまった。
⑨「にぎやかなさえずりが“後押し”してくれた」と、俺は、勝手に、解釈した。
⑩だけど、そのことによって、俺は、これは、「言ってよかったんだ」と、確信できた。
6 俺がやったことを、神さまが“評価”してくれたと、勝手に、思った
(1)「映画」を撮っている最中、
①見たり、聞いたり、などして、現在進行形であらわれる、さまざまな“情報”。
②過去の記憶。
③ノートに書くなど、しながら、整理してきた、考え。これら(①~③)をもとに、俺は、その場、その場で“判断”して、いろいろやってみた。
(2)そして、その、その場、その場で、俺がやったことについての、いわば、“評価”を、神さまがしてくれたと、俺は、勝手に、そう思った。
(3)具体的に、どんな風景だったかを再現すると、たとえば、次のようなことがある。
①ウォーキングをする。その道の途中、俺の目の前を、チョウが“うれしそうに”、舞っている。このことで、俺は、「これでよかった」と、勝手に、思った。
②ウォーキングしている道の途中、のら猫が、俺を、じっと見ている。その時にしていた、自然にたいして謙虚じゃなかった姿勢というか、考えを、反省して、俺は、「すいません」とあやまる。すると、猫が、スッと動いて、行ってしまう。ああ、「反省」が正しかったんだと、俺は、勝手に、思った。
③ウォーキングの道の途中、いろいろやって、その中で、俺が、怒りにまかせて、行動する。たぶん、飼い犬が、怒ったように、吠える。その“声”で、俺は、「行動」をひるがえし、方向転換する。ああ、俺の悪い癖だ。怒るのを、俺の、“暴走”を止めてくれた。俺は、勝手に、そう思った。
④「映画」を撮っている最中、ウォーキングしていて、たぶん、俺が何かやったあと、
「どうかな」などと考えていると、鳥(スズメ)の群れが、俺の目の前で、パッと、さえずりながら飛び立つ。「ああ、これでよかったんだ」と、俺は、勝手に、思う。
⑤「映画」を撮っている最中、俺の家の外、家寄りの庭のところに、何か、名前は分からないが、1りん、白い花が、元気に、咲いている。それを見て、俺は、何か、「それでいいよ」と、言ってくれてる気がする。
⑥「映画」を撮っている最中、俺が“判断”して、何かをやる。雨が降り出す。かなり、妄想的だが、雨が降り出したことを、「神さまが泣ている」、「神さまが感動している」と、俺は、勝手に、感じる。
⑦「映画」を撮っている最中、外部の“情報”によらず、ほとんど、俺が、自分の頭で考えたことだけで“判断”して、何かをやったことがあった。雨が降った。1日に、2回。俺が、「判断して、何かをやった」あとに、おのおのの、2回。雨が降った。「これでいい」と、俺は、勝手に、とらえた。
⑧「映画」を撮っている最中、2階の部屋で、座イスにすわっていると、窓から、太陽の光がさしこむ。俺が、太陽の光に照らされる。俺には、それを、俺がやったことを、神さまが、「喜んでくれている」、「これでいい」と、言ってくれている。と、俺は、勝手に、感じる。このことは、何か、人間的で、自然に対して、謙虚じゃない気もする。また、「俺が、太陽の光に照らされること」で、神さまが「喜んでくれている」なんて、ものすごく、ナルシスト的だとも、思う。
⑨「映画」を撮っている最中、俺が、ウォーキングで、いろいろやっているときは、ずっと、晴れてたな。雨が降った日もあったけど、“ウォーキングでいろいろやるべき時”は、その日は、晴れていたような、神さまが、それ(“ウォーキングでいろいろやるべき時”)にあわせて、晴れにしてくれてるような、そんな気がした。勝手に、そう、思った。
7 10月31日の作文
俺が、神さまというものについて、特に、体験的に、“知った”と、思ったことについては、10月31日付の作文として、ファイルされている。それは、次の通りだ。
<2015年10月31日付の作文>
神さま
自然(神のつかい)
人間
神さまがいて、自然があって、人間がいる。自然は、神のつかいであって、その下にというか、人間がいる。そして、次元の違うところに、神さまはある。人間は、神さまのつかいである自然に対して、謙虚でなければならない。自然は、神のつかいであって、その下にというか、人間がいる。人間は、神さまに触れるようなことを、むやみやたらに、してはならない。神さまは、次元の違うところにある。人間は、神さまのつかいである自然に対して、謙虚でなければならない。自然に対して、謙虚であることを忘れなければ、ノートを使って、考えを整理してもいい。というようなことを、俺は、思った。だから、俺は、自然に対して謙虚であること、これだけは、忘れないようにして、いろいろなことを、やっていこうと思う。
8 図書館で借りた本で知ったこと
①アイヌ民族にとっては、神さまは、身近な存在である。崇高な存在というより、怒り、喜び、哀しみ、楽しむ、ような、いわば、“人間と同じ感情”を持った存在だ。
②アイヌ民族にとっては、神さまは、シマフクロウのような、そんな、動物が、“神のつかい”だ。“神のつかい”として、とらえられた動物と、儀式的な行いを通して、ふれあった。
③11月15日に、『日本宗教とは何か』(久保田展弘著)の、アイヌ民族について書いてあるところを、少し読んで、上の2つのようなことを知った。
9 まとめ
★俺が、体験的に知った神さまというものは、次のようなものだ。
①俺の知った神さまは、崇高なもの、でも、ある。
②俺が体験的に知った神さまは、アイヌ民族にとっての神さまのように、身近で、人間のように、怒り、喜び、哀しみ、楽しむような、まさに、“人間と同じ感情”を持つ存在、だ。
③アイヌ民族は、儀式的なものを通じて神さまとふれあう、というようなことを、「8」の「図書館で借りた本で知ったこと」で、書いた。
④俺が、体験的に知った神さまは、儀式的というより、日常的な、ほんとに、普段の生活の中で、ちょと足をのばせば出会えるような、いや、家にいたとしても、出会える、そんな、身近な、存在だった。
⑤アイヌ民族にとっての神さまも、もちろん、身近な存在だったわけだから、俺が体験的に知った神さまと、ほんとうに、一緒だ。
⑥アイヌ民族の価値観・世界観・“神さま観”に、俺は、親しみを覚える。俺が体験的に得た価値観・世界観・“神さま観”は、まさに、アイヌ民族のもの、そんな感じだ。
⑦神のつかいは、人間ではなく、自然だ。このことを、俺は、体験的に知った。
⑧自然とは、具体的には、太陽・雨・地震・蝶・鳥(スズメ)・のら猫・飼い犬・庭の花、とか、いうものだ。
⑨俺は、①~⑧のことを、体験的に知った。これは、事実であり、ホンモノだ。