「入れたり出したり」またはフェミニストの本質について

 俺はインターネットテレビ「デモクラシータイムス」のウィークエンドニュース(2023年10月21日)を見ました。番組のチャット欄では内容に添った書き込みを行いました。俺はチャット欄では独自のたたかいも挑みました。番組終了までの何十分かのあいだ何を言われようともしつこくチャット欄に「クソメガネ荻原」を打ち込み続けたのです。この一語をつぎに巨大化します。

クソメガネ荻原

 さて、俺がなぜ荻原博子(おぎわら・ひろこ)を今回つぶしにかかったのかはここでは置いておきます。それよりも大問題として提起したいのはフェミニストは荻原を決して叩かないであろう事実です。ふだん一般人の男を得意げに叩きまくるフェミニストが荻原を叩かずに野放しにして恥じない事実。荻原を絶対に叩かないどころか必死にたたかっている俺=安達憲一郎を薄笑い(うすわらい)を浮かべて楽しそうに眺めることでしょう。これを俺は体験に基づき断言します。これが吐き気のするフェミニストの本質と論理です。

俺にクソぶりを巨大化されうつむく荻原=写真